©︎住野よる – 双葉社 住野よるの小説『また、同じ夢を見ていた』は、デビュー作『君の膵臓をたべたい』に続く第二作として、累計発行部数80万部を突破した感動作です。小学生の主人公・小柳奈ノ花が「幸せとは何か」を探求する中で、3人の不思議な女性と出会い、成長していく物語。一見難解に思える内容も、登場人物の正体に隠された驚きの真実を理解すれば、深い感動とメッセージ性を感じることができる名作...

住野よるの小説『また、同じ夢を見ていた』は、デビュー作『君の膵臓をたべたい』に続く第二作として、累計発行部数80万部を突破した感動作です。小学生の主人公・小柳奈ノ花が「幸せとは何か」を探求する中で、3人の不思議な女性と出会い、成長していく物語。一見難解に思える内容も、登場人物の正体に隠された驚きの真実を理解すれば、深い感動とメッセージ性を感じることができる名作です。
記事のポイント
- 小学生の奈ノ花が主人公の成長物語として描かれている
- 3人の女性(南さん、アバズレさん、おばあちゃん)との出会いが物語の鍵となる
- 「幸せとは何か」というテーマを深く探求する内容になっている
- 登場人物の正体に隠された驚きの真実が物語の核心部分である
- 感動的な結末と人生への深いメッセージ性が込められている
『また同じ夢を見ていた』のあらすじ

主人公・小柳奈ノ花と物語の始まり
物語の主人公は小学5年生の小柳奈ノ花(こやなぎ なのか)。彼女は年齢に似合わず大人びた考え方を持つ少女で、口癖は「人生とは~のようなものね」です。奈ノ花は自分を賢いと思っており、周りの大人や同級生を心の中で見下してしまう傾向があります。そのため学校では友達がおらず、いつも一人で図書館で本を読んで過ごしています。
奈ノ花の両親は仕事が忙しく、なかなか家族の時間を作ることができません。特に父親は単身赴任で家にいることが少なく、母親も仕事に追われる日々を送っています。そんな環境の中で、奈ノ花は孤独感を抱えながらも、本の世界に逃避することで心の安らぎを見つけていました。
物語は奈ノ花が放課後に一人で過ごしている日常から始まります。彼女にとって学校は居心地の悪い場所であり、早く家に帰りたいと思いながらも、家に帰っても誰もいない現実に直面することになります。そんな奈ノ花の前に、運命を変える3人の女性が現れることになるのです。
南さんとの出会い~リストカットする女子高生の秘密
ある日の放課後、奈ノ花は普段通らない道を歩いていると、古い廃墟のような建物を見つけます。好奇心に駆られて建物を探索し、屋上に出た奈ノ花は、そこでリストカットをしている女子高生と出会います。その女子高生は「南さん」と名乗り、制服のスカートに刺繍された文字から、奈ノ花は彼女をそう呼ぶようになりました。
南さんは小説を書くことが趣味で、いつも手帳に物語を綴っています。奈ノ花が本好きだと知ると、南さんは自分の書いた小説を読ませてくれます。その小説は非常に完成度が高く、奈ノ花は南さんの才能に感動します。しかし南さんには深い悲しみが隠されていました。
実は南さんの両親は飛行機事故で亡くなっており、彼女は両親と喧嘩をしたまま死別してしまったことを何年間も後悔し続けているのです。「人生は自分で書いた物語だ。自分次第でハッピーエンドに書きかえられる」と南さんは奈ノ花に語りかけます。そして奈ノ花に対して、両親と仲直りをするよう強く勧めるのでした。
南さんとの出会いを通じて、奈ノ花は家族の大切さを学びます。南さんの深い後悔の念を感じ取った奈ノ花は、自分も両親ともっとコミュニケーションを取るべきだと考えるようになります。しかし、しばらくして南さんと会っていた廃墟が取り壊されてしまい、南さんの行方は分からなくなってしまいます。
アバズレさんとの出会い~黒猫がつないだ不思議な縁
奈ノ花と南さんが出会うきっかけとなったのは、実は一匹の黒猫でした。雨の日に怪我をして動けなくなっている尻尾のちぎれた黒猫を見つけた奈ノ花は、猫を助けてくれる人を探していました。そんな時に出会ったのが「アバズレさん」です。
アバズレさんは表札に乱暴な字で「アバズレ」と書かれたクリーム色のアパートに住んでいます。奈ノ花は最初、この表札を見て彼女の名前がアバズレだと思い込みますが、実際は違います。アバズレさんは人との関わりを避けて生きており、近所の人々から軽蔑の意味を込めて表札に書かれたものでした。
アバズレさんの職業について奈ノ花が尋ねると、彼女は笑いながら「季節を売る仕事をしているんだ」と答えます。この言葉の真意は物語が進むにつれて明らかになりますが、アバズレさんは自分の身体を粗末に扱う仕事をしていることが示唆されています。
しかしアバズレさんは奈ノ花に対してとても優しく接します。怪我をした黒猫の世話をしてくれるだけでなく、奈ノ花が一人で悩んでいることを察して、親身になって話を聞いてくれます。アバズレさんは「私みたいになっちゃうよ」「誰とも関わりを持たないなんて言っちゃ駄目だ」と奈ノ花に忠告し、人とのつながりの大切さを教えてくれるのです。
おばあちゃんとの出会い~温かい愛情に包まれて
奈ノ花が出会った3人目の女性は「おばあちゃん」です。血のつながりはありませんが、おばあちゃんは奈ノ花を孫のように可愛がってくれます。おばあちゃんの家は温かい雰囲気に満ちており、奈ノ花は学校や家庭で感じる孤独感を忘れることができる唯一の場所でした。
おばあちゃんは奈ノ花に対して「なっちゃんには先を見る力があるからね」とよく言います。この言葉の意味について、おばあちゃんは「大人は子供と違って過去を見る生き物だから」と説明します。つまり、子供である奈ノ花には未来を見る力があり、大人は過去を振り返る存在だというのです。
おばあちゃんの家には「live me」というサインが入った絵が飾られています。この絵について奈ノ花が尋ねると、おばあちゃんは「この絵を描いた人は家族と一緒に海外で暮らしている」と答えます。実はこの絵は重要な伏線となっており、物語の核心に関わる人物が描いたものであることが後に明らかになります。
おばあちゃんは奈ノ花に人生の大切な教えを伝えます。「優しい人になろうと思うことができた。だから私の人生は幸せだった」という言葉を通じて、真の幸せとは何かを奈ノ花に気づかせてくれるのです。
国語の授業「幸せとは何か」への挑戦
物語の重要な転換点となるのが、国語の授業で出された「幸せとは何か?」というテーマです。先生は生徒たちに隣の席の人と議論させ、自分なりの答えを見つけるよう指導します。奈ノ花の隣の席には桐生くんが座っており、二人は一緒にこの難しい問題に取り組むことになります。
奈ノ花は南さん、アバズレさん、おばあちゃんの3人に「幸せとは何か」について相談します。しかし3人の答えはそれぞれ異なっており、奈ノ花は混乱してしまいます。南さんは「人生は自分で書いた物語」と答え、アバズレさんは「本当は苦いコーヒーやお酒より、甘いお菓子が大好きだった」と自分の本音を語り、おばあちゃんは「優しい人になること」が幸せだと教えてくれます。
桐生くんは家庭的に複雑な事情を抱えており、父親が泥棒の疑いをかけられて学校でいじめられています。奈ノ花は最初、桐生くんの境遇を理解できずにいましたが、3人の女性との出会いを通じて、人それぞれに異なる幸せがあることを学んでいきます。
この授業を通じて、奈ノ花は自分なりの「幸せ」の定義を見つけようと努力します。そして最終的に、家族や友人との温かいつながりこそが真の幸せであることに気づくのです。
両親との喧嘩と仲直り~南さんからの大切な教え
物語のクライマックスの一つが、奈ノ花と両親との関係性の変化です。授業参観の日が近づく中、奈ノ花は両親に来てもらうことを楽しみにしていました。しかし仕事の都合で両親が授業参観に来られなくなってしまい、奈ノ花は激怒してしまいます。
奈ノ花は両親に対して冷たい態度を取り、家庭内の雰囲気は険悪になってしまいます。そんな時、南さんの書いた小説を読み返した奈ノ花は、その美しい文章に心を打たれます。そして南さんから聞いた両親との死別の話を思い出し、家族の大切さを再認識するのです。
南さんは奈ノ花に「今から帰ったら、絶対に親と仲直りをしろ」「ずっと後悔することになるんだぞ!」「私みたいに喧嘩したままもう会えないなんてことになってほしくない」と強く訴えかけていました。これらの言葉が奈ノ花の心に響き、彼女は勇気を出して両親に謝ることを決意します。
奈ノ花が「ただいま!」と元気よく家に帰り、母親に素直に謝ると、母親も涙を流して奈ノ花を抱きしめてくれます。この和解のシーンは物語の中でも特に感動的な場面の一つで、家族愛の大切さが美しく描かれています。そして驚くことに、両親は仕事を調整して授業参観に来てくれることになるのです。
アバズレさんの正体と「季節を売る仕事」の意味
物語が進むにつれて、アバズレさんの正体についてより深く明かされていきます。彼女が言っていた「季節を売る仕事」とは、実は春を売る仕事、つまり身体を売る仕事であることが暗示されています。アバズレさんは人との関わりを断ち、自分の身体を粗末に扱う生活を送っていたのです。
アバズレさんは奈ノ花に対して「その子は、自分の人生に意味なんてないって思った。それで、その子はもう、この人生を終わらせようと思った」と語ります。これは自分自身の過去について話しているのであり、アバズレさんがどれほど絶望的な状況にあったかが分かります。
しかしアバズレさんは奈ノ花との出会いを通じて、少しずつ変化していきます。「私も、本当は苦いコーヒーやお酒より、甘いお菓子が大好きだった。もう忘れない」という言葉からは、彼女が本来の自分を取り戻そうとしている様子が伺えます。
アバズレさんの存在は、人生に絶望した時でも、誰かとの出会いによって希望を見出すことができるというメッセージを込めています。そして奈ノ花に対して「その子みたいな人生を歩いちゃいけないんだ。だから、誰とも関わりを持たないなんて言っちゃ駄目だ」と伝えることで、人とのつながりの重要性を教えてくれるのです。
桐生くんとの友情~本当の優しさとは何か
桐生くんは奈ノ花のクラスメートで、授業で「幸せとは何か」について一緒に考える相手です。しかし桐生くんは家庭的に複雑な問題を抱えており、父親が泥棒の疑いをかけられたことで学校でいじめられています。クラスメートたちは桐生くんを避けるようになり、彼は孤立してしまいます。
最初、奈ノ花は桐生くんの境遇を完全には理解できませんでした。しかし南さん、アバズレさん、おばあちゃんとの出会いを通じて、人それぞれに抱える悩みや痛みがあることを学んだ奈ノ花は、桐生くんに対する見方を変えていきます。
物語のクライマックスで、桐生くんが苦しんでいる時、奈ノ花は責めるわけでもなく、特別な言葉をかけるわけでもなく、ただ静かに彼の手を握ってあげます。この行為こそが真の優しさであり、おばあちゃんが教えてくれた「優しい人になる」ということの実践でした。
桐生くんの父親の疑いは晴れ、家族は海外に移住することになります。桐生くんは絵を描くことが得意で、将来は画家になる夢を持っています。彼のサインは「live me」で、これは「kill you(きりゅう)」の反対の意味として、「生かす」「私を」という意味を込めたものです。
3人の女性の正体が明かされる衝撃の真実
物語の最大の秘密は、南さん、アバズレさん、おばあちゃんの3人が実は全て同一人物、つまり未来の奈ノ花自身であることです。それぞれは人生の重要な選択肢で間違った道を選んでしまった場合の奈ノ花の姿を表しています。
南さんは、両親と仲直りできないまま彼らを事故で失ってしまった奈ノ花の未来です。彼女は後悔の念に苛まれ、リストカットを繰り返しながら小説を書き続けています。アバズレさんは、人との関わりを断ち、自分を粗末に扱う生活を選んでしまった奈ノ花の未来です。おばあちゃんは、桐生くんの本当の味方になってあげることができず、友達関係のまま過ごしてしまった奈ノ花の未来です。
3人の女性は、小学生の奈ノ花が同じ過ちを犯さないよう、それぞれの後悔を背負いながら彼女に会いに来たのです。奈ノ花が正しい選択をするたびに、その後悔を象徴する存在が一人ずつ消えていくという構造になっています。
この真実が明かされることで、物語全体の意味が大きく変わります。読者は改めて物語を振り返り、3人の女性の言葉や行動に込められた深い意味を理解することができるのです。
『また同じ夢を見ていた』のあらすじを理解したら

登場人物の深い意味と同一人物説の解釈
3人の女性が未来の奈ノ花であるという解釈は、物語の核心部分です。それぞれが異なる人生の選択をした結果として存在しており、小学生の奈ノ花に正しい道を示すために現れました。
南さんは両親との関係において間違った選択をした奈ノ花です。彼女の制服のスカートに刺繍された「南」という文字は、南がつく高校に通っていたことを示唆しています。南さんが常に小説を書いているのは、現実逃避の手段であり、同時に自分の理想とする物語を追い求める行為でもあります。
アバズレさんは人間関係において間違った選択をした奈ノ花です。表札に書かれた「アバズレ」という言葉は、近所の人々から軽蔑されていることを表しており、彼女が社会から孤立した生活を送っていることを象徴しています。しかし本来の彼女は甘いお菓子が好きな優しい人であり、それが奈ノ花の本質でもあります。
おばあちゃんは桐生くんとの関係において間違った選択をした奈ノ花です。彼女が「live me」のサインが入った絵を持っているのは、桐生くんとの関係が続いていることを示していますが、恋人ではなく友達のままで終わってしまったことを後悔しているのです。
「人生とは」という口癖に込められたメッセージ
奈ノ花の口癖である「人生とは~のようなものね」は、物語全体を通じて重要な意味を持っています。最初は子供らしい浅い知識で大人ぶって使っていた言葉ですが、3人の女性との出会いを通じて、より深い意味を理解するようになります。
物語の最後で、おばあちゃんが奈ノ花に伝える言葉「いいかい、なっちゃん。人生とは。全て、希望に輝く今のあなたのものよ」は、この口癖の真の意味を表しています。人生は過去の後悔や未来の不安ではなく、今この瞬間に生きる自分自身のものであるというメッセージが込められています。
南さんの「人生は自分で書いた物語だ」という言葉も同様に、自分の人生は自分で決めることができる、ハッピーエンドに書きかえることができるという希望のメッセージを表しています。これらの言葉は、読者にも人生に対する前向きな姿勢を与えてくれます。
尻尾のちぎれた黒猫の象徴的な意味
物語に登場する尻尾のちぎれた黒猫は、重要な象徴的意味を持っています。この猫は奈ノ花と3人の女性を繋ぐ案内役として機能しており、物語の進行において重要な役割を果たしています。
猫の尻尾がちぎれているのは、奈ノ花の幼少期の未熟さや心の傷を表現していると考えられます。大人になった奈ノ花が飼う「マーチ」という猫は長い尻尾を持っており、これは成長した奈ノ花の完全性を象徴しています。
猫は南さん、アバズレさん、おばあちゃんがそれぞれ役割を終えると、彼女たちと一緒に姿を消していきます。アバズレさんがアパートからいなくなった時、猫は階段を登ろうとしませんでした。これは猫がアバズレさんの存在がもうないことを知っていたことを示しています。
最後におばあちゃんと一緒に猫も姿を消すのは、奈ノ花の成長が完了し、もう案内役が必要なくなったことを表しています。猫の「ありがとうと、さようならを合わせたみたいな」鳴き声は、役目を終えた満足感を表現していると解釈できます。
夢と現実の境界線~タイトルの真の意味
「また、同じ夢を見ていた」というタイトルには、物語の本質が込められています。3人の女性との出会いは、現実とも夢ともつかない不思議な体験として描かれており、読者は最後まで真実が分からない構造になっています。
物語の最後で「大人になって、私は不思議の理由を知ってしまいました」という文章が登場します。これは奈ノ花が大人になって、南さん、アバズレさん、おばあちゃんが自分の未来の姿であったことを理解したことを意味しています。
しかし同時に、奈ノ花が正しい選択をしたことによって、彼女たちの存在する未来は消えてしまいました。つまり、奈ノ花の成長とともに、後悔に満ちた未来の可能性も消失したのです。これが「また、同じ夢を見ていた」の真の意味であり、過去の自分への警告として夢の中で出会い続けていたことを表しています。
タイトルに込められたもう一つの意味は、読者もまた同じような夢を見るということです。誰もが人生の選択に迷い、後悔を抱えながら生きています。この物語を読むことで、読者も自分なりの「幸せ」について考え、同じような夢を見ることになるのです。
住野よるが描く家族愛と成長テーマ
住野よるは『君の膵臓をたべたい』でも家族愛や友情の大切さを描きましたが、『また、同じ夢を見ていた』では特に親子関係に焦点を当てています。奈ノ花と両親の関係性の変化は、多くの読者の心に響く普遍的なテーマです。
現代社会では、仕事に追われる両親と子供との関係が希薄になりがちです。奈ノ花の家庭も例外ではなく、両親の愛情は感じられるものの、コミュニケーション不足から誤解が生まれてしまいます。しかし南さんの経験を通じて、奈ノ花は家族の大切さを学び、勇気を出して両親に歩み寄ります。
この作品では、子供から大人への成長過程で必要な要素として、他者への理解と共感が重要だと示されています。奈ノ花は最初、自分中心の考え方をしていましたが、3人の女性との出会いを通じて、他人の痛みや喜びを理解できるようになります。
桐生くんとの友情も、真の優しさとは何かを教えてくれる重要な要素です。言葉ではなく、ただそばにいてあげること、手を握ってあげることの大切さを描いています。これは現代社会で失われがちな、人間同士の温かいつながりの重要性を示しています。
映画化・漫画化作品との違いと魅力
『また、同じ夢を見ていた』は2020年に実写映画化され、また桐原いづみによって漫画化もされています。それぞれのメディアで異なる魅力を持っており、原作小説とは違った角度から物語を楽しむことができます。
映画版では、奈ノ花役を当時子役として活躍していた重岡大毅が演じ、3人の女性をそれぞれ実力派女優が演じました。映像化することで、奈ノ花の心情や3人の女性の存在感がより鮮明に表現されています。特に廃墟での南さんとの出会いのシーンや、クリーム色のアパートでのアバズレさんとの交流シーンは、映像ならではの美しさがあります。
漫画版では、桐原いづみの繊細な画風によって、登場人物の心情がより深く表現されています。特に奈ノ花の表情の変化や、3人の女性それぞれの特徴が、絵として明確に描かれることで、読者により強い印象を与えています。
しかし原作小説の最大の魅力は、奈ノ花の一人称で語られる文章の美しさと、読者の想像力に委ねられる部分の多さです。3人の女性の正体や、彼女たちとの出会いが現実なのか夢なのかという曖昧さは、小説でこそ表現できる独特の魅力といえます。
読者が感じる「幸せ」への新たな気づき
この作品を読む多くの読者が感じるのは、「幸せ」に対する新たな気づきです。物語の中で奈ノ花が学んだように、幸せは人それぞれ異なるものであり、外から与えられるものではなく、自分で見つけるものだということが伝わってきます。
南さんの「人生は自分で書いた物語」という言葉は、多くの読者に自分の人生を能動的に捉える視点を与えてくれます。過去の失敗や後悔にとらわれるのではなく、今この瞬間から新しい物語を書き始めることができるという希望のメッセージです。
アバズレさんの「本当は甘いお菓子が大好きだった」という言葉は、自分の本当の気持ちを大切にすることの重要性を教えてくれます。社会の期待や他人の目を気にして本来の自分を見失いがちな現代人にとって、自分らしさを取り戻すことの大切さを示しています。
おばあちゃんの「優しい人になろうと思うことができた。だから私の人生は幸せだった」という言葉は、幸せが結果ではなく、プロセスにあることを教えてくれます。優しい人になろうと努力すること自体が幸せであり、完璧である必要はないというメッセージが込められています。
『また同じ夢を見ていた』のあらすじのまとめ
- 小学生の奈ノ花が「幸せとは何か」を探求する深い成長物語として描かれている
- 3人の女性(南さん、アバズレさん、おばあちゃん)は全て異なる選択をした未来の奈ノ花自身である
- 各登場人物は人生の重要な局面で間違った選択をした場合の後悔を表現している
- 奈ノ花が正しい選択をすることで、後悔の象徴である3人の存在が消えていく構造になっている
- 家族愛、友情、自己受容の大切さを描いた、現代人の心に響く深いメッセージ性を持つ作品である
住野よるの『また、同じ夢を見ていた』は、一見するとファンタジー的な要素を含む物語ですが、その本質は現実的で深刻な人生のテーマを扱った作品です。3人の女性の正体が明かされることで、物語全体の意味が大きく変わり、読者は改めて自分の人生について考えさせられます。
特に「幸せとは何か」という普遍的なテーマを、小学生の目線から描くことで、大人が忘れがちな純粋な心の大切さを思い出させてくれます。南さんの小説家としての才能、アバズレさんの隠された優しさ、おばあちゃんの深い愛情は、どれも奈ノ花の可能性を表しており、読者自身の可能性でもあります。
物語の最後で「薔薇の下で。」という言葉が「秘密」を意味することが明かされますが、これは奈ノ花と桐生くんの将来を読者の想像に委ねる美しい演出です。二人がどのような関係になるかは秘密ですが、お互いを支え合う温かい関係が続いていくことが示唆されています。
この作品を通じて、読者は自分なりの「幸せ」を見つけるヒントを得ることができます。そして奈ノ花のように、家族や友人との関係を大切にし、他者への優しさを忘れずに生きていくことの重要性を学ぶことができるのです。住野よるが描く温かい人間関係と成長の物語は、多くの人の心に長く残る名作として愛され続けています。